『はしばみの詩』の中島まんさんの言葉の中に、中さんの人柄が偲ばれるものが、いくつもあります。
平塚時代の主な作品は『銀の匙』改稿と単行本新発売。『孔子』(未定稿)『しづかな流れ』『妹の死』『菩提樹』、鳥物語第一作『雁の話』を脱稿しました。
『銀の匙』初版本
『銀の匙』の初稿から十四年余りたち、大正14(1925)年4月(4月5日付岩波茂雄へ『銀の匙』改稿の意向の書簡)平塚の家で改稿に着手、大正15(1926)年4月15日 装丁を行い初めて単行本として『銀の匙』を発行しました。 その間の岩波書店とのやり取りの書簡が何通も残っております。
■ 『しづかな流』邦楽小曲集が昭和34(1959)年 文部大臣賞を受賞しました。
『しづかな流』「日記体随筆による邦楽小曲集」の作曲者 三世今藤長十郎氏が、その年の最高の芸術祭賞である文部大臣賞を受賞しました。
■ 『しづかな流』の詩が歌唱曲・合唱曲になりました。
男性合唱曲作曲 第一人者の故 多田武彦氏(晩年 平塚に住む)が「ほほじろの声」を作曲。
溝上日出夫氏が「蓑虫」「われら千鳥にてあらまし」を作曲。
■ 『しづかな流』の詩がレコードになりました。
昭和37(1962)年 日本ビクターが詩「瑠璃鳥」「こま」「逢う瀬まちまち」「戸あくれば」をレコードに収載しました。
これは30歳代の放浪時代を思い出した作品です。 表層の流れはしづかな流れだが、底流は苦悩の流れ、放浪時代を思い出した詩「塩鮭」が語っています。 平塚時代も、これほどでないにしても時に狂気になる兄金一を抱えての中家の生活は決してしづかな流ではなく、その底流の苦悩は深いものがあったのでしょうか。