平塚市博物館 寄贈品展示コーナーにて、『作家中勘助の詩を詠む日々と平塚の自然』と題して、中勘助の作品展示と往時の平塚の景観を垣間見る展示会が開催されました。
期間中、多くの見学者、並びにメディア関係者が訪れ、盛況を博しました。
またこれに併せて、中勘助が歩いたであろう文学の散歩路をウォークしました。 当日は天候にも恵まれ、平塚にはまだまだ素晴らしい自然が残されていることを実感しました。
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主催 平塚市博物館
平塚時代 大正13年12月29日~昭和7年9月18日まで、
7年8ヶ月余
中さんは朝夕の散歩が大好きで、一日の中で最も幸せな時であると
詩「海辺の野を行けば」に市民の花『なでしこ』が登場
ハマエンドウの鮮やかな花は今も見られます。
黒松に松露、赤松に松茸
松露は春のキノコで3~4cmの球形石ころの中央のゴマフは千鳥の卵です
スズメより一回り大きな赤褐色色の鳥で、冬は暖地に移動。
チチッと2~3回鳴く。
詩「ほほじろの声」は
春の畑から大空高く舞い上がり、明るい声で囀る小鳥
シラサギ・ゴイサギは相模川、花水川に生息
オオルリ
カワラヒワ
「千鳥の卵」タゴが卵を嗅ぐ。
タゴがくわえそう?
このコーナーは「中さんの散歩路」です。
中さんが好んだ散歩路は「南北の路」と「東西の川に向かう路」
当時海岸では、盛んに地曳が行われていました。
当時、松葉・松かさ・松の枝が、貴重な焚きつけの燃料でした。
当時は、東西の広いバス通リはなく、散歩では南の路を歩き、
当時と現在の湘南平からの写真です。花水川の東、平塚側の一帯は黒っぽく
散歩路の次は、ご近所等のお付き合いや、
中さんの家の北側西に、牧野財夫宅があり、中さんが東京に戻った後も
写真は永井専太郎さんです。中さんと縁があり、家を建てる時、
中さんは20代半ばから
30代半ばまで
寺社や親戚、友人の家に
次のコーナーは、平塚時代の執筆活動です。
『銀の匙』初版本、「妹の死」『菩提樹の蔭』「鳥の物語」の構想と第一作
『銀の匙』の改稿は大正14年4月に刊行。
朝から晩まで指が痛くなるまで
インド3部作の一つ『菩提樹の蔭』は文楽の人形に魂が宿る話をヒントに作成。鳥が喋る物語を構想。
第一作「雁の話」脱稿
子供達に中さんを知ってもらおうと、手作り紙芝居の丸島隆雄さんに頼み、
タゴは貰い手のいない見映えが良くない犬で、中さんはいやいや飼い始めましたが、
会の活動は、講演会・読書会・ゆかりの地訪問〔静岡、長野信濃町・東京(文京区)〕
詩集『中さんの散歩路』500冊刊行
『銀の匙の作家 中勘助の平塚時代』
500冊刊行
中さんの1日
朝食(わり飯、味噌汁)散歩・執筆等
中さんの人柄(お手伝いの中島まんさんより)
等身大(180cm)の中さんと愛犬のタゴが見学者をお迎えしました。
博物館展示の見学者
湘南SCNの撮影
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なでしこコースは2.2Km弱で、
朗読等を含め約2時間コースです。
集合場所は、花水公民館
先ずは、出席確認
中勘助文学碑(桃浜公園南口)
居住地(龍城ヶ丘3-14)
菫平南公園(黒松林の面影)
なでしこ小学校東
(花水川に向かう路)
虹ケ浜海岸中央
(地曳が盛んでした)
ひかり輝く湘南の海
ここでの詩は「時化すぎて」と「朝網」です。
虹ケ浜から花水川河口へ
砂丘上に「ハマボウフウ」が有りました。
花水川河口
河口手前の砂地にて
ここらで一休み‥
「なでしこ公園」の木陰にて
会役員を除く、全参加者のアンケートを分析させて頂きました。
分析結果は、反響を知ると共に、今後の活動に大いに参考になるものと思われます。